被災地にあって
奨励 |
西村 仁志〔にしむら・ひとし〕 |
奨励者紹介 |
同志社大学総合政策科学研究科准教授 |
研究テーマ |
持続可能な社会をつくるための環境教育、まちづくり、市民活動についての研究 |
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。
(詩編 一二一編一―八節)
被災地栗駒山を訪ねる
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」。詩編の一節を読んでいただきました。先週、宮城県で栗駒山を見上げながら、この一節を思い出していました。
今日から四ヵ月前の六月十四日に、宮城県北部・岩手県南部を震源とする地震が起こりました。当時、山あいの温泉宿の「駒の湯温泉」が土石流で埋まり、死者、行方不明者を出した様子が何度もテレビで放映されましたので、覚えていらっしゃる方もおられると思います。ところが今やマスコミでの報道がされることもなくなり、忘却のかなたかもしれません。
さて、この「駒の湯温泉」のある宮城県栗原市耕英地区に、私の友人、佐々木豊志さんが「くりこま高原自然学校」を経営しています。ここは宮城・岩手・秋田の三県にまたがる栗駒山の山麓にあたり、ブナの原生林や湿原地帯など豊かな自然に恵まれ、この自然を舞台に、子どもたちから大人の世代まで、自然体験を通じた教育活動を展開してこられました。先週私は佐々木さんを訪ね、現地を訪問してきたのです。
この耕英地区は、標高六〇〇メートルの厳しい自然条件のもと、戦後、中国東北部(満州)からの引き揚げ者が苦労して開拓してきた集落でもあります。約四十世帯、人口一〇〇名程度の規模です。佐々木さん自身は同じ東北の岩手のご出身ですが、この栗駒山の自然に魅せられ、耕英地区に土地を入手して、ログハウスを自力で建築して自然学校を開いたアウトドアの達人です。そしてとりわけ不登校やニート、引きこもりの青年など、自立にあたって支援が必要な青少年に対する取り組みに力を注いでこられました。
震災から復興へ
さて、今回の地震では、この耕英地区に大きな被害がありました。麓からの道路が崩落し、寸断されました。また家屋の被害も大きく、佐々木さんの自然学校でも建物の基礎が壊れてしまいました。仮設道路は八月にようやく開通し、電気、水道は回復しましたが、いまだに避難指示が出ており、日中数時間の帰宅のみ許されていて、まだ自宅で寝ることはできないのです。初雪が迫る今の季節、建物の修繕、そして何より生活の復興に向けて住民たちはなかなか厳しい状況にあります。
さて、この耕英地区を戦後から開拓してきた人たちは、二つの名産品を作り出しました。一つは冷涼な気候を活かした高原イチゴ(普通の時期より一~二ヵ月旬が遅い)、そして源流だけにすむ幻の魚イワナの養殖です。被災後、仮設道路が開通するまでの二ヵ月はヘリコプターでの一時帰宅しか行き来ができませんでしたので、イチゴもイワナも危機的な状況にありました。せっかく手塩にかけて育ててきたイチゴとイワナをこのままでは、みすみす捨ててしまうことになる。収入の道を断たれてしまうことになるわけです。佐々木さんたちは気持ちがどんどんへこんでいくような状況のなかで「がんばろう神戸」にあやかって、「がんばろう耕英」というスローガンを掲げ、復興への活動をスタートさせます。着の身着のままで下山した住民たちの日常生活の車での送迎や、食器が割れ失ってしまった住民に無料でお茶碗を提供する「お茶碗プロジェクト」。そしてヘリでの一時帰宅の間にイチゴを摘み、支援のボランティアと一緒にジャムを作って瓶詰めし、販売する活動など、外部の支援者からの助けを得ながら、たくさんの活動を展開していったのです。
それでも、四十世帯のうち、耕英地区に戻り生活できる人たちは半分にもならないということです。高齢化が進んだ山村で、自らの仕事、生活を復興させ、またコミュニティを再生させていくには並大抵のエネルギーでは難しいということを、今回の訪問で痛烈に感じることとなりました。
一歩踏み出す勇気
今回の被災の体験のなかで、佐々木さん自身、「結果が保証されていないことに一歩踏み出す勇気」がいかに大切かということを思い知らされたと語っています。彼自身は野外教育、冒険教育の専門家であり「常々、自然学校の子ども達には、限界を作るのは自分自身だと言ってきた」けれど、今度は震災の現場で自分自身が同じ状況に立ち、自分自身が試されているように感じたと言っているのです。
筋書きのない、将来が保証されない状況のなかで、自然学校の使命を「人と、自然と、社会をつなぎ直す」と定め、地域の人びと、栗駒山麓の自然、そして社会システムを射程に入れながら、活動しておられる姿にはあらためて感動しました。
あの地震から四ヵ月がたち、マスコミに報道されることもほとんどなくなってしまったのですが、いまのあの現場で苦しんでいる人びと、そして復興にむけて活動している人びとがいることをあらためて知っていただければと思って、お話をさせていただきました。
二〇〇八年十月十五日 水曜チャペル・アワー「奨励」記録
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