奨励 |
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シャローム―平和の実現―
平和を実現する人々は、幸いである、 (マタイによる福音書 五章九節) マタイ福音書とルカ福音書マタイによる福音書の五章から七章には「山上の説教」と呼ばれるとても有名な箇所があります。その冒頭に「心の貧しい人々は、幸いである」という言葉で始まる「九つの幸い」の教えが出てきます。先ほど読んでいただいた聖書箇所は、その七番目の幸いです。 このマタイの「九つの幸い」の教えとよく似た箇所が、ルカによる福音書六章二〇節から二六節にあります。面白いことに、ルカでは「九つの幸い」の教えではなく、「四つの幸いと四つの不幸」の教えとなっていて、しかも四つの幸いと四つの不幸が内容上、対応しています。マタイでは九つあった幸いがルカでは四つとなり、その代わり、マタイにはなかった四つの不幸がルカには入っているわけです。 私は福音書を読むとき、『五つの福音書』というタイトルの本を参考にすることがよくあります。この本は、一九八五年春に米国で始まったジーザス・セミナーという新約聖書学者たちによる研究会の報告書のようなもので、一九九三年に出版されました。サブ・タイトルは「イエスの真正な言葉の探求」となっています。タイトルが『五つの福音書』というのは、新約聖書の四つの福音書、それに一九四五年にエジプトで発見された「トマスによる福音書」を加えた、五つの福音書にあるイエスの言葉を分析したものだからです。 この本の中で、五つの福音書に出てくるイエスの言葉が赤、ピンク、グレイ、黒の四色で色分けされています。簡単に色の意味を説明しますと、次のようになります。 赤は、イエスの言葉。 ピンクは、イエスが言ったかもしれない言葉。 グレイは、イエスのではないが、考えはイエスに近い言葉。 黒は、イエスのではなく、後代の、あるいは違う伝承からの言葉。 マタイの「九つの幸い」とルカの「四つの幸いと四つの不幸」の箇所が、この『五つの福音書』という本で何色に印刷されているのかと言いますと、イエスの言葉とされる赤は、ルカの「四つの幸い」の内の最初の三つのところだけで、他の箇所はすべてピンク、グレイ、黒のいずれかになっています。マタイの「九つの幸い」の箇所には赤はなく、ピンク、グレイ、黒の三色が使われています。 イエスの言葉とされる、ルカにある「三つの幸い」は六章二〇-二一節の部分で、読んでみますと、 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。 となっています。この箇所をマタイの箇所と読み比べてみると、面白いことに気づきます。ルカでは「貧しい人々は、幸いである」、ところが、マタイでは「心の貧しい人々は、幸いである」となっています。また、ルカでは「今飢えている人々は、幸いである」、ところが、マタイでは「義に飢え渇く人々は、幸いである」となっています。ルカでの「貧しい人々」が、マタイで「心の貧しい人々」(つまり、神を信頼する謙虚な人々のこと)、ルカでの「飢えている人々」がマタイで「義に飢え渇く人々」となっていて、ルカで示されている経済的な困窮、貧困がマタイで精神的なものへと変えられています、あるいは宗教的なものへと深められています。 平和を実現する人々さて、精神的、宗教的な意味を持つ「心の貧しい人々」、それに「悲しむ人々」「柔和な人々」「義に飢え渇く人々」「憐れみ深い人々」「心の清い人々」が続き、それから、今日の聖書箇所、「平和を実現する人々」の部分が出てきます。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」。特に分かりにくいというような部分ではありません。平和を実現することの大切さが言われています。さらに、平和を実現するために行動を起こすことが呼びかけられています。ここで問題となるのは、やはり平和を実現するために、どのような行動をしていくべきなのかということになります。 私たちは日常、頻繁に「平和」という言葉を目にしたり、耳にします。そのためでしょうか、「平和」ということの重要性を十分に認識してはいるものの、「平和」という言葉がことさらに私たちの注意を喚起したり、私たちを揺り動かすことがなくなっているような気がします。その原因のひとつは、私たちの中で「平和」という言葉が具体的な状況・現実と結びつけて捉えられていないからだと思います。マタイによる福音書五章九節は、精神的、宗教的な意味を持つ「心の貧しい人々」などと並べられ、何か具体性を欠いた、単に理想的な主張を述べたものとして、特に注意を払われることなく、読み飛ばされてしまうかもしれません。ここで私たちがすべきことは、「平和」といういささか漠然として抽象的とも感じられる言葉を具体的な状況・現実とつなげるということではないでしょうか。ルカで示されている経済的な困窮、貧困がマタイで精神的なものへと変えられたとお話ししましたが、それとは正反対に、「平和」という言葉を具体的な状況・現実と結びつけることが必要なのではないかと思います。 「平和」という言葉はギリシア語でエイレーネー、ヘブライ語でシャロームです。マタイによる福音書五章九節の「平和を実現する人々」はこのエイレーネーと関係した表現です。「平和」という言葉をどのように具体的な状況・現実とつなげていくのか? 平和という言葉から私たちが一般的に連想するものは何でしょうか。それはやはり戦争だと思います。聖書の中でも、エイレーネー、シャロームは「戦争がないこと」と密接に結びついています。まさに戦争と平和というわけで、戦争と平和は対立概念となります。そこで平和を戦争という具体的な状況・現実と結びつける。しかし、これはなかなかにやっかいな作業です。世界にはたくさんの戦争・紛争があり、具体的な状況・現実を理解し、平和の実現のために行動することは、かなりたいへんなことです。私たちは戦争に対して絶対に無関心であってはなりませんが、ここでは、戦争の単なる対立概念ではない平和についてお話ししたいと思います。 エイレーネーとシャローム聖書の中で、エイレーネー、シャロームは「戦争がないこと」と密接に結びついているとお話ししましたが、どちらの言葉も実際はもっと広い意味を持っています。つまり、平和を戦争という具体的な状況・現実と結びつけるだけでは不十分であるということです。これは、戦争がなくなることがそのまま平和ということではないということでもあります。 シャロームとは元来、何かが欠けていたり、損なわれたりしていない充足した状態のことで、そこからさらに進んで、無事、安否、平安、健康、繁栄、安心など、人間が生きていく上でのあらゆる領域にわたって真に望ましい状態を表す言葉です。エイレーネーも、シャロームが含んでいる多様な意味内容を受け継ぎ、人間の生の全領域にわたって神の意志に基づいた真に望ましい状態を指している言葉です(この辺りの説明は『新聖書大辞典』より)。したがって、私たちは、「平和」という言葉から、「真に望ましい状態」であること、あるいは「真に望ましい状態」になることを何が邪魔し、何が妨げているのかを考えなければなりません。それは戦争という状況だけではなく、私たちの日常、身の回りで見つけ出すことができるはずです。それが何であるかは、人によって異なります。「平和」という言葉が各個人のそれぞれの生活の場で、具体的な状況や現実と結びつけられたとき、行動すべきことが具体的に明らかとなるはずです。 ここで、ユダヤ人の共同体で使われている言葉をひとつご紹介します。それはシャローム・バイトという言葉です。英語では"peace at home"と訳され、家でのシャローム、家の平和という意味です。この言葉は最近、ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力の問題)との関係でよく使われているようです。昔のユダヤ教の賢者は、このシャローム・バイトについて次のようなことを言っています。「この世、この地上での平和の実現は、社会において最も小さな単位である家庭での平和の実現にかかっている」と。私たち一人ひとりが置かれている具体的な状態・現実での平和がより大きな平和の実現に関係しているというわけです。戦争がおこっていなくとも、家庭にシャロームがなければ、それは真にシャローム、平和といえる状態ではないというのは確かなことです。 ユダヤ教の賢者の言葉は、私たちが身近なところで、そして身近なところから平和、シャローム、エイレーネーを実現していくことの重要性を気づかせてくれます。平和を戦争と結びつけるだけでなく、私たちは、私たち一人ひとりにとって身近な領域、すなわち家庭、職場、学校、地域で平和、シャローム、エイレーネーを実現することを求められているのだと思います。 最後に今日の聖書箇所について一言。先に説明しましたジーザス・セミナーの『五つの福音書』によれば、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」の箇所は実は黒の色で印刷されています。イエスのものではなく、後代の、あるいは別の伝承からの言葉ということになります。しかし、私たちに「平和」の意味を考えさせ、「平和を実現すること」を問いかけるこの箇所が、たとえイエスの言葉でなかったとしても、聖書の中にあって極めて重要であることはやはり間違いないことのように思われます。 祈り 天の神様、こうして、聖書の言葉を学ぶ一時が与えられましたことを感謝いたします。私たち一人ひとりが身近なところで、そして身近なところから平和を実現していく者となりますように。そして、「平和」という言葉がいつまでも風化することなく、具体的な状況・現実と結びついた生き生きとした言葉であり続けますように。御名によって祈ります。 二〇〇五年六月二十一日 火曜チャペル・アワー「奨励」記録 |
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