奨励

みどりごが私たちに与えられた

奨励 飯 謙〔いい・けん〕
奨励者紹介 神戸女学院大学文学部教授

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
 あなたは深い喜びと
   大きな楽しみをお与えになり
 人々は御前に喜び祝った。
 刈り入れの時を祝うように
 戦利品を分け合って楽しむように。
 彼らの負う軛
 くびき
 、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
 あなたはミディアンの日のように
   折ってくださった。
 地を踏み鳴らした兵士の靴
 血にまみれた軍服はことごとく
 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。

権威が彼の肩にある。
 その名は、「驚くべき指導者、力ある神
 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
 ダビデの王座とその王国に権威は増し
 平和は絶えることがない。
 王国は正義と恵みの業によって
 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

(イザヤ書 九章一―六節)

「みどりごが生まれた」

 アドベントの第三週を今、守っております。アドベントはイエス様のご降誕を覚え、また再臨を覚える季節であります。本日はこのアドベントの季節に伝統的に読まれてきました「イザヤ書」第九章のメッセージへ、ご一緒に思いをめぐらせてみましょう。
 イザヤは、紀元前八世紀、イエス様がお生まれになる七〇〇年前にエルサレムで活動していた預言者です。それは本当に政情不安定な時代、戦争の絶えない時代でございました。一つ大きい国がメソポタミアにあって、傍若無人に周辺の諸国を踏み荒らしていました。力には力で対抗しないといけないと考えられていた時代でした。しかしイザヤは「それはやめましょう」と申しました。今日、読んでいただいた箇所に目を通しますと、最初、戦争の場面が描かれています。そうして戦争の場面を語りながら突然それを遮って「一人のみどりごが、我らのために生まれた」とイザヤは語ったのでした。唐突にその言葉が飛び出してくる気がいたします。戦争の話をしている。そこに突然、子どもの話がポンと飛び出してまいります。「一人のみどりごが、私たちに生まれた」。
 私はこの言葉を、紀元前八世紀の人たちが、驚きというよりも、嘲りをもって聞いたのではないかと思うのです。あまりにも唐突であったからです。この「一人のみどりごが私たちのために生まれた」という箇所をヘブライ語で読んでみますと、「みどりご」という単語と「生まれた」という言葉が同根対格―たとえば私たちは、「歌を歌う」という言い方をいたします。動詞と目的語が同じ単語になるような言葉。日本語としてはあまりきれいではありませんが、ヘブライ語でも少々たどたどしく感じる―そのような響きの表現で書かれています。
 そうしてこの「みどりご」という単語、私が学生だったころは、いちいち大きい辞書を引いて、どこで使われているだろうかと長時間かけて調べなければならなかったのですが、最近はコンピュータのあるソフトで、〇・〇一秒で、どこで使われているか、カチカチとクリックすれば、すぐ分かります。学生のころ、こういうものがあったら本当によかったのに、と思います。これで昨夜調べてみましたら、旧約聖書で四十回くらい使われている。用例を調べていくと、たとえば虐殺の対象であったり(創世記 四章)、一族の安泰のために捨てられる子どもであったり(創世記 二一章)、奴隷として売り飛ばされる子どもであったり(創世記 三七章)、生まれてすぐ死んでしまう赤ちゃんであったり(サムエル記下 一二章)、一生懸命人びとのために尽くしても忘れられてしまう少年であったり(コレヘトの言葉 四章)、大変ネガティブな文脈で使われていることが多い単語であるということに、少しびっくりいたしました。
 私たち、「赤ちゃん」や「子ども」というと、大切にしないといけない、誰もが、そう考えると思います。でもこの単語は、用例を見てみますと本当に乱雑に扱われる場合に使われている言葉でした。たとえば創世記四章二三節に出てきますが、レメクという人が「俺はそんな子どもは殺してやるのだ」というところで使われているのは代表的な例です。今日のイザヤ書のテキストに出てくる「みどりご」は、その用例の大半がネガティブな文脈に使われる「子ども」のことだったのです。私たちはそう思ってはいけませんけれど、踏みにじってもいい子ども、乱雑に扱ってもいい子ども、大切にされない子ども。そういう文脈で使われることの多い単語がヘブライ語にはあるのです。
 そのようにしか扱われない「みどりご」が今、私たちのところに生まれたのだ。大切なものとして生まれたのだ。光として生まれたのだ。それがこのイザヤ書九章五節に出てくる、びっくりするようなメッセージだったのです。常識という言葉があります。皆がそのようにやって疑わないようなことです。私たちのなかにも、おかしな常識がいっぱいありますが、この時代には、踏みにじってもいい子どもがいた。本当にあったのかどうかわかりませんが、飢饉の時代に食糧とされてしまった子どもがいたという叙述もございます(哀歌 四章一〇節)。その単語を使って「大切なものとして今、この子どもが生まれた」。そういう具合に、ここでイザヤは語ります。

蔑まされていたものが・・・

 振り返ってみますと、日本語を使っている私たちの社会のなかでも、「子ども」という言葉が、驚くほど乱雑な意味で使われていることに気がつきます。「子どもっぽい」とか「子どもだましだ」とか「子どもじみた」、「子どものやることだ」。「お前、何才だ」という場合にも「あなた、子どもじゃないでしょう」という意味があります。子どもという言葉には、本気で相手にしない、軽くみなす、そのようなイメージが根底にあるのではないでしょうか。イザヤはそうではなくて「これが救いのしるしなのだ」と語ったのです。
 子どもというのは、深層心理学のフレームのなかでは、成長するもの、未来の可能性の象徴である、と学んだことがございますが、聖書のなかで「子ども」という単語は、あのように扱われ、そして私たちの何げない日常の言葉のなかでも、「子ども」はあのように使われているのです。先日、健康保険のない子どもがたくさんいるという記事を読んで本当にびっくりしました。私が不見識だから驚いたということなのですけれど、記事を見ると一・三~一・四パーセントだと。最近、厚生労働省の外郭団体の研究所で働く阿部彩さんという先生が『子どもの貧困』(岩波新書)という本を出され、少し話題を呼びました。「日本の不公平を考える」という副題のついた小さな本でありましたが、社会全体が、子どもの幸福度を高める努力をしよう、と提言されていました。子どもの幸福度を高めていく、それが私たちの社会の幸福度を高めることにつながっていくのだ、と。
 ちょうど、このイザヤの「子どもが私たちのために平和のしるしとして生まれた」というメッセージと何か重なるようで、クリスマスの季節に大変大切な提言をいただいたと思うのです。それはあたかも神様からの呼びかけのようであります。子どもが私たちのなかに生まれた。先ほど、この言葉が文脈のなかで唐突に出てくる、と申しました。戦争の話のなかに突然「一人のみどりごが、私たちに生まれた」と出てくる。これはイザヤの一つのインスピレーションといいましょうか、イザヤなりにその現実を展開させた言葉だったと思うのです。聖書の信仰とは、私たちが聖書の言葉を丸覚えして、そして言われたとおりに行動するロボットのようになるということではありません。それぞれが受け止めたメッセージを、またそれぞれが日常のなかで生きてみる、そのように展開させてみる、応用させてみる、それが聖書の信仰の伝統であったと申せます。
 このたび、バラク・オバマ氏が大統領になります。世界が平和になるようにと祈らないではおれません。私はバラク・オバマ氏の演説集とか伝記や評伝が並んでいるのを、見るとはなしに見ておりましたが、彼はずいぶん聖書の言葉を応用した演説をしています。自分なりにやさしい言葉に置き換えて語る人だなと思いました。たとえば「もはや黒人も、白人もない、あるのは一つのアメリカである」というような言い方。これはパウロが使った「ギリシャ人もユダヤ人もない、そしてキリストにあって一つの身体である」という言葉の一つのバリエーションであるような気がいたします。
 「Yes, we can」「私たちにできる、やってみましょう」という言葉、これもオバマ氏がそこまで意識したかどうかわかりませんが、申命記三〇章一四節にはそのようなフレーズが出てまいります。「律法は私たちに遠くない、私たちに近いから私たちにできるのだ」というフレーズ。私たちではなく「あなた方」と書いてありますが。聖書のメッセージを私たちがそれぞれの場で応用すること、展開させてみること。これが私どもに与えられた信仰の方向です。イザヤも、この戦争の現実をみたときに、思わず、私たちのなかで踏みにじられてきたもの、蔑まされてきたもの、それが今、大切なものとして私たちのなかに生まれたのだ、「一人のみどりごが、我々の中に生まれたのだ」と申しました。
 私たちも、その「人ひとりは大切である」というメッセージを、それぞれ与えられた場で応用していこうではありませんか。これが、アドベントにイザヤから与えられたメッセージです。皆さんはそれぞれ、法律の世界、産業の世界、流通の世界、福祉の世界、信仰の世界、教育の世界、あるいは家庭や地域、いろいろな場で活躍されると思います。蔑まされていたもの、私たちが蔑んできたものが「今、私たちの中に大切なものとして生まれたのだ」。このメッセージを今、私たちは、噛みしめ、それを私たちの祈りとしたいと思うのです。

二〇〇八年十二月十六日 火曜チャペル・アワー「アドベント讃美礼拝奨励」記録

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