奨励 |
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平和を実現する
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奨励 | 月下 美孝〔つきした・よしたか〕 |
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奨励者紹介 | 日本キリスト教団広島東部教会牧師 学校法人みぎわ学園 的場幼稚園園長 広島市キリスト教会連盟会長 |
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5章9節)
『わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。』
(マタイによる福音書10章34節)
平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。
(エゼキエル書13章10節)
おはようございます。1月17日は、阪神淡路大震災から17年。当時同志社の学生も被災されたと聞いています。震災で亡くなられた方々を覚え、哀悼の意を評します。また、被害に遭われた方々の平安を祈ります。
50年前の1962年4月、神学部に入学した月下美孝です。
秋学期統一テーマは、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」ですが、「平和」とは、と問われると何とお答えになりますか。改めて問われると、少し戸惑われるかもしれません。では「世界は平和ですか」と問われるとどうでしょうか。「平和です」と答えられるでしょうか。それとも「平和でない」と答えられるでしょうか。「平和」という言葉を聞いて、どういうイメージを浮かべますか。何を連想されますか。1982年に広島大学平和科学センターの松尾教授が広島、山口、福岡の大学生962人に「平和」という言葉を聞いて連想する言葉のアンケートをとりました。それによると①戦争、②鳩、③広島、④幸福、⑤自由という順になり、①と②で、53%、③5・8%、④2・7%、⑤2・1%という結果となりました。「戦争」と言えば「平和」という言葉が返ってきます。「戦争」と「平和」というように対になって使われることもあります。普通「戦争」の反対概念は「平和」と考えられています。「戦争」といえば、武器をとって戦うイメージがありますが、今日では「経済戦争」とか「受験戦争」といった使われ方もされます。
一つのエピソードを紹介します。滋賀県に知能に重い障がいを持った人たちの施設「止揚学園」があります。そこでのお話です。
食事のとき、誰かが急に「平和ってどういうこと」と質問をしました。一瞬、皆が困ったような顔をし、シーンと静まりかえってしまいました。そのとき、克子さんがニコニコ笑いながら「わたし、知ってる。みんな一緒に、ご飯を食べることや」と大きな声で答えたそうです。平和とは女も男も、老人も若者も、障がいを持った者も、持たない者も、いろいろな国の人たちも、皆が一つのテーブルに座って共に食事をすること、何とすばらしい発想でしょう。何と豊かな心でしょう。もし、本当にそのような社会が生まれるなら、全ての人間が共に生き、笑顔がみちあふれるにちがいありません。
人類の歴史は「戦争の歴史」と言われます。フランスのジャン・バコンという人の著書『戦争症候群』(竹内書店新社 1983年初版、翻訳)に、ある学者が調べた結果が数字で紹介されています。紀元前1496年から紀元1861年まで、つまり3358年間のうち、3081年は戦争があり、残りの277年が平和であったということである。そうすると戦争の期間11年に対し、平和の期間は1年という割合になる。そして、どの戦争も正義の戦争で、相手が悪いと言ってきました。そして、あらゆる時代にやっぱり平和が良いと、戦争はしないという平和条約、何とか不可侵条約のたぐいのものを結んできました。その数が、紀元前1500年から紀元後1860年まで、ざっと数えて、戦争をしないという条約が8400もいろいろな国家間で結ばれています。ほとんどが「永遠に平和を」とうたっていますが、その条約の平均寿命が約2年です。この数字は、戦争を止めさせることがいかに困難なことかを知らされます。
有史以来の主な戦争は、1万4000回、死者が約50億人と言われています。
その内19―20世紀の戦争に注目すると、戦争毎に戦死者が増大し、第二次世界大戦では、戦闘員と非戦闘員の死傷者が半々でしたが、それ以降は非戦闘員の犠牲者が増大しています。いつの時代にも少数の人間によって戦争が決定され、多くの国民(民衆)が犠牲になっています。
先ほど紹介した本が、戦争を止めさせる、何かを提案しているかというと、そうではないのです。戦争は経済的にも、人口問題から言っても、大企業の論理からも、ナショナリズム、金儲けの観点からも、憎しみを吐き出すという観点からも、物を発明するという観点からも一番効果的である。戦争のゆえにあらゆるものが進歩する。そういう意味で戦争ほど素敵なものはない、戦争ほど文化を創り出すものはないというようなことが書かれています。
このような戦争を賛美する考え方により人類の歴史が作られてきた現実があることを踏まえて、皆様と一緒に「平和を実現する」とは、どういうことか、「平和を実現する」ために、私たちに何ができるのかを考えたいと思います。
私が「平和」について関心をもつようになった二つの体験をお話しします。その一つの体験は、被爆体験です。
1945年8月6日の出来事です。あの日の朝、2歳8カ月の私は2歳上の兄と疎開先の戸外で遊んでいました。8時過ぎ爆音に気づき2人で広島の上空に侵入してくる原爆を搭載した爆撃機B―29を見上げていたのです。そして夏空に輝きながら落下していく物体が原爆とも知らず目で追っていたのです。その時、兄が叫びました。「母ちゃん、太陽が落ちてくる」。その瞬間、兄と私は吹っ飛ばされたのです。爆心地から4㎞離れた避難地にも強烈な爆風が襲いかかってきたのです。(3・6㎞で、風速25m/秒、風圧1t/1㎡)
それから10年経って、原爆の恐ろしさを知らされる出来事が起こりました。「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんが「白血病」で召されたのです。彼女の死を通して人々は原爆の「放射能」の恐ろしさを知ったのです。彼女の死は同年齢の私にとって人ごとではなかったのです。当時「いつか自分も・・・」と今、元気であってもいつ発病するか分からない、という不安感、恐怖感に襲われたものでした。それが目に見えない放射能(線)の恐ろしさです。被爆者は死ぬまで放射線で苦しまねばならないのです。福島の原発事故で汚染された地域の方々は、広島、長崎の被爆者と同じ体験をされているのです。幸いにも私は、被爆時には大きな怪我もなく、その後も大きな病気もせず、今日まで生かされてきました。
もう一つの体験をお話します。自分の歴史認識の甘さを知らされた体験です。
それまで私は被害者としての被爆者の感覚しかなかったように思います。加害の側面というものを教えられた出来事がありました。1981年7月、韓国のパゴダ公園(現・タプコル公園)を訪ねた時のことです。パゴダ公園は1919年3月1日に起こった「三・一民族独立運動」の発祥地として知られています。公園中央部には独立宣言が刻印された記念碑があり、そのまわりを囲むように独立運動の様子を伝える過程や日本官憲と激しく抵抗する韓国民衆の姿が生々しく描かれた10枚のレリーフが掲げられています。一通り見終えて、再度、最初のレリーフの所で写真を撮り始めた時のことです。一人の白髪の老人が近づいてきて「お前はこれが何を意味するか分かるか」と日本語で問いかけてきたのです。この一声で私は、ハッと気がついたのです。一言も声が出ませんでした。私たち日本人は、その当時生まれていようが、いまいが直接関わっていなくても、加害者なのだと。それまでレリーフに描かれている暴虐なことをしたのは日本官憲(日本軍)であって、自分ではないと思っていました。そういう心が加害者の心であることを知らされたのです。確かに直接手を下したのは日本官憲(日本軍)でしたが、自分と関係ない、というのではなくて、日本人としての私に関係あるのだと、加害者の心というものを教えられたのです。
さて、今日の聖書「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイによる福音書10章34節)、並行記事のルカによる福音書12章51節には「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない、言っておくが、むしろ分裂だ」とあります。
この聖句は読む者を戸惑わせます。イエスは「平和の君」として、この世に来られたのに「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と言われます。イエスがなぜこのような過激な言葉を語られたのでしょうか。
この聖句は「平和」の内容を問いかけておられるのではないでしょうか。私たちが「平和」と言う時、どの様なイメージ(内容)で「平和」を語っているでしょうか。「平和」は誰もが大切だと思っています。平和を否定する人はいないでしょう。それなのに、なぜ戦争(紛争)がおこるのでしょうか。
「平和」は語る人によって内容(意味するもの)は必ずしも同じでないことに気づかせられた出来事があります。米国からの平和学習を引率していた牧師が、スパニッシュ系の人に「平和」と言うときには、注意しながらこの言葉を使わなければならない、と語ったのです。どういうことかと尋ねると、彼らは白人から「平和」という言葉で騙され続けてきたというのです。誰もが信用する「平和」を利用し、騙されてきたというのです。エゼキエル書にある偽りの預言者が「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わす・・」(13章10節)とあることを白人がしたというのです。
ドイツの神学者ルイーゼ・ショットロフ(1934年4月11日~)は「平和には二つの考え方がある」と指摘しています。
一つは「パックス・ロマーナ」で圧倒的な力によって維持され、保証された「力による平和」です。ローマに反対する者は、力によって圧殺されました。ローマ以上の力を持つ者が現れると、容易にひっくり返ってしまう頼りない見せかけの平和です。今日では、弓、槍が核兵器に変わりました。核抑止力による平和は、いつ均衡が崩れるか、という不信感によって成り立っています。
イエスの時代、ローマは平和だと言われていました。その「ローマの平和」は、剣には剣、槍には槍、つまり力には力をもって相手(敵)を打ち負かし、時に敵の返り血を浴びて奪い取る、反抗する者を力ずくで押さえ込んで有無を言わせない。それは多くの人びとの犠牲の上に成り立っており、一部の人のみが謳歌していた「平和」です。そして、皇帝は平和をつくり出す者として「神の子」と呼ばれていたとのことです。そのようにして成り立っているのが、「ローマの平和」の実態であったのです。ローマの貨幣には皇帝の像と共に「平和をつくりだす者」という言葉が刻まれている貨幣があると聞いたことがあります。
ルイーゼ・ショットロフが指摘するもう一つの平和は「シャローム」で表される聖書の平和です。それは、単に戦争がない状態をいうのではなく、人間が心身共に健やかに日々過ごすことのできる状態を意味します。健康でないなら、自由、正義、希望、喜びがないなら平和とは言えないのです。「平和学」で言うところの「積極的平和」です。それは、人類の存在を脅かす要因、戦争の危機、飢餓、貧困、人権抑圧、様々な差別、環境汚染等を考慮に入れ、平和とは何かを考えるのです。それこそが、イエスが示された平和です。
イエスは、皇帝のいう「平和」(ローマの平和―パックス・ロマーナ)の欺瞞性を見抜いておられました。イエスは山上の説教で弟子や群衆に向かって「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5章9節)と言われました。イエスは、皇帝が人びとに「平和をつくりだす者」と呼ばせた同じ言葉を用いて、皇帝のつくりだす「ローマの平和」の実態は、「力による平和」であり、真の「平和」は実現しないことを言われたのです。
イエスの言われる「平和」は、僕となって人びとに仕え、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章43―44節)とあるように敵をも愛の対象とし、呪う者をも祝福し、自らの血(十字架)を注いで打ち立てる平和「十字架による平和」です。「愛による平和」こそ、まことの「平和」であることを教え、そのように地上の生涯を生きられたのです。
主イエスがこの世にこられたのは、「力による平和」でなく、「愛による平和」を実現するためであり、「平和」を実現する(つくり出す)原点は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ福音書5章45節より)、無条件な神の愛であることを教えられたのです。
今日の聖書「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタイによる福音書10章34節)は、「偽りの平和」「見せかけの平和」に対して、「神の愛と義に基づく真の平和」をつくりだすことを私たちに求めています。
(1)平和の実現のために祈ること。
(2)騙されないために、正しい知識を学ぶこと。
(3)学んだ事(知ったこと)を、人に伝えていくこと。平和の花を咲かせ、平和の実をつくりだす仲間を増やすために、「平和の種まき」をすること。
(4)原爆慰霊碑(正式名は「広島平和都市記念碑」)の碑文より学ぶこと。
1952年に完成した碑には「安らかに 眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。完成後、主語をめぐって碑文論争がおきましたが、それを踏まえて広島市は1983年、「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを繰り返さないことを誓う言葉である」との和英両文の説明板を設置しました。碑の前に立つ一人ひとりが、「過ちは 繰返さない」平和を実現していくという思いをもつことの大切さを教えられるのです。
『ハチドリのひとしずく いま、私にできること』という本があります。短い物語で、小さな力の大切さを教えてくれる南米アンデス地方の先住民に伝わるお話です。
森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと
逃げて
いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして、いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディは、
こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
(監修・辻信一 光文社 2005年初版より)
「私にできることをしているだけ」私たちは、できることしかできません。平和の問題は、まさに一人ひとりができることをしていくことが大切なことだと思うのです。昨年亡くなられた被爆者の語り部・沼田鈴子さん流に言えば、「平和の種まき」ということになるでしょう。もう一つ「バタフライ効果」という理論を紹介します。とても勇気の出る理論です。たった一羽のチョウチョの羽ばたきが、海峡の対岸に嵐を起こすことが、可能性としてあるという理論です。一人ひとりの力は微々たるものです。一人が、小さな力でもあきらめず、できることをしていく(声をあげていく)。すると、それに共感する人が必ず現れる。「バタフイ効果」を信じながら、イエスが教えられた「愛による平和」の実現のために一人ひとりが「平和の種まき」をしていきたいと思うのです。
2012年1月17日 今出川火曜チャペル・アワー「奨励」記録